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「“好き”を暮らしの軸に」旅する料理人“椎葉康祐”

千葉県の房総半島を訪れたとき、とんでもなくフットワークの軽い男に出会ってしまった。彼の名は椎葉康祐、今回の主役だ。

「四国行ってきます!」
「東北行ってきます!」
「オーストラリア行ってきます!」
「ルワンダ行ってきます!」
「今度、ハワイ行きますけど一緒にどうですか?」

職業“旅する料理人”と名乗ったその男は、毎週と言っていいほどどこかに出かけていった。海外だろうがなんだろうが彼にとっては関係ない。隣町に遊びに行くような感覚でいつも消えていく。

「何だこの人!?」

出会った頃は物静かな青年と思っていたのに、実態は全く違う。彼を知れば知るほど、“旅する料理人”の一言ではまとめられなくなってくる。

彼は何者なのか。

今回は、そんな謎の多い“旅する料理人”椎葉康祐という人間を暴いていこうと思う。

 

旅する料理人“椎葉康祐とは?

 

Photo by Ayaka Mizuno

1991年11月11日と、なんとも縁起の良さそうな日に生まれた椎葉康祐さんは、小学校から大学までラグビーに青春を注いだ元ラガーマンだ。

「過去は振り返らない。今より前に進むために全力で未来を考える」

そんな強い信念を胸に、自分の夢をカタチにするため大手の会社を退職し、昔から興味があった“料理”を仕事にまで発展させた。

現在は“旅する料理人”として世界中を飛びまわりながら、ツアーコンダクター、シェアハウスの運営、農業体験の企画と幅広く活動している。

「“好き”を暮らしの軸に」を人生のコンセプトとし、次々と興味があることを仕事にしている。目指すところは、人を喜ばせるエンターテイナーだ。そんな彼の人生は、「料理人だけで終わらせるつもりなんてない!」と言わんばかりに物凄いスピードで変化している。

 

“お袋の味”と“制限された食への想い”が料理へと導いた

 

Photo by Ayaka Mizuno

椎葉さんが料理に興味を持った最初のきっかけは、母親が作るお袋の味だった。まだ実家暮らしだった頃、毎日食卓に並ぶ美味しい手料理を食べて、「僕もいつか作ってみたい」そんな風に思っていたという。

しかし実家にいるときは母親が作り、大学に進学してからは学業に部活と忙しすぎて、とてもじゃなく自炊する暇なんてなかった。しかも、入部したのはあの有名な慶応義塾大学のラグビー部。小学校4年生からの経験者ではあったものの、練習は思った以上にきつかったそうだ。

「大学時代は常に体つくりのことを考える毎日でした。1日5食。健康的、美味しいといった食生活ではありませんでした」

もともと“食べること”が好きだった椎葉さんにとって、この頃の食生活はトレーニングの一環であり、決して楽しめるものではなかった。

この“食への制限”が、大学を卒業し1人暮らしを始めることによって解除。自分の時間とキッチンを得た椎葉さんは、今まで抑えてきた“食”に対する気持ちを、“食べること”だけではなく“作ること”でも楽しみ始めた。

これが“旅する料理人”としての第一歩となる。

 

自分らしい生き方にシフトチェンジ

 

ー都会暮らしからのドロップアウトー

 

Photo by Kosuke Shiiba

社会人になって自由に“食“を楽しめるようになったものの、いまいち幸福感を味わえない毎日が続いていたと話す椎葉さん。その理由は、当時住んでいた東京での生活の中にあったそうだ。

「新鮮な食材が簡単に手に入らない、通勤ラッシュ、人の多さ、切羽詰まった時間の流れ。僕にとって都会生活は息苦しいものになっていたんです」

東京生まれの彼は、生後間もなく埼玉で9年間を過ごし、その後父親の実家がある宮崎に引っ越している。昔は“何もない”退屈な田舎が嫌で嫌でしょうがなかった都会っ子だったが、大人になって戻ってきた東京は、もう自分が求めている世界ではなくなっていたのだ。

「やっと都会に戻って来れたのに、宮崎から離れることで田舎の住みやすさに気がついたんです。田舎の“何もなさ”に“何か”を求めて都会に出たものの、そこには逆にありすぎてしまった。その時に改めて、“何もない“ことの良さを実感したんです」

そう話す椎葉さんは、東京に戻ってきてから8年目の年に田舎への移住を決心。自分らしい生き方を謳歌するために、居心地のいい土地を探し始めた。

 

―人生の転機、そしてサラリーマンに終止符―

 

Photo by Kosuke Shiiba

椎葉さんはある番組の特集がきっかけでルワンダに興味を持ち、将来は日本とアフリカをつなぐ仕事がしたいと思っていた。そこで就職先に選んだのが、アフリカビジネス支援ができるジェトロ(日本貿易振興機構)。この選択が彼にとって人生の転機となった。

2015年に入社し、途上国のビジネス支援をする部署で日本企業をサポート。担当は、椎葉さんをアフリカという国に導いた“ルワンダ”で企業している団体だった。

「一生涯アフリカと関わっていたい」

ジェトロでの仕事の中で彼は強くこう思い、このことが今後の人生の方向性を決めることとなった。

そしてルワンダとの交流を深める中で、こんな気持ちも湧いてきたそうだ。

「支援側ではなく、企業側に立って直接ルワンダに関わっていきたい」

昔から人と違うことがしたい、自分で仕事を作っていきたいと思っていた彼にとって、支援という仕事は素晴らしいと感じつつも、どこかしら物足りなさを感じていた。

「僕は企業したい側だったので、サラリーマンには向いていませんでした」

そう話す椎葉さんは、息苦しさを感じていた都会暮らしへの気持ちもあり、仲間に惜しまれながらも退職を決めたのだった。

 

ブラウンズフィールドとの出会いから千葉県に移住を決める

 

Photo by Kosuke Shiiba

「空気と食べ物が美味しいところ、自然があるところに行きたい」

退職を心に決めてから、自分の新たな拠点となる土地を見つけるために彼はとにかく情報を集めたそうだ。その中で知り合いの料理家さんから教えてもらった、自給自足をコンセプトに活動している“ブラウンズフィールド”という場所を知る。

「ブラウンズフィールドの話を聞いたとき、自分のイメージしていることと一緒じゃん!と思いました」

有力な情報を得た彼はすぐに、ブラウンズフィールドがある千葉県・いすみ市へと足を運んだ。

いすみ市の駅に降り立ったとき、目の前に広がる里山の風景や海に感動したそうだ。またブラウンズフィールドの”自然と共存していく暮らし”を体験し、彼はこう確信したという。

「ここだ!って思いました。いすみ市は僕にとって理想的な場所だったんです」

このとき2017年の2月。彼はジェトロで引き継ぎの仕事に終われながら家の解約手続きを済ませ、退職した次の日である2017年4月1日にはいすみ市の住人となっていた。

 

移住後、“旅する料理人”として進化していく

 

Photo by Kosuke Shiiba

移住してからは“地域おこし協力隊”として活動しながら、ありとあらゆるところに顔を出し、たくさんの人たちと交流を深めていったそうだ。その中で畑や田んぼを貸してくれるところ、農業体験など自分が構想していた企画をやらせてくれるコワーキングスペースとも繋がっていった。

またブラウンズフィールドに通う中で、今までの食のあり方も見直していったという。彼は元ラガーマン。肉なしの食生活はまずなかったが、自分の体が喜ぶマクロビ料理に出会ってから、自然とヴィーガンになっていったそうだ。

この変化から生まれたのが<ヴィーガン>・<マクロビ>・<発酵食>に、椎葉さんの人生にとって欠かすことのできない<アフリカ・ルワンダ>を合わせた独自の料理だった。彼は唯一無二のスタイルを確立し、『Bashi’s Kitchen』として屋号を取得。移住して1年も経たないうちに、料理人として本格的に活動を始めた。

2017年から始めたルワンダ料理会を皮切りに、多くのマーケットやイベントに出店。そして旅行も好きだった彼は“旅する料理人”と名乗り、千葉県内から全国、そして世界へと活動を広げていった。

現在では、普段捨てられてしまう食材を使った料理イベント『もったいないキッチン』を全国に広める運動もしている。ただ美味しいだけではなく、採れたものは有難くいただこうという姿勢や心も伝えていく活動家にまで進化しているのだ。

 

アフリカが“お金”に対する考え方を変えてくれた

 

Photo by Kosuke Shiiba

「僕、死なないです(笑)」

会社を退職することへの不安はなかったのかと質問した私に、予想以上の答えが返ってきた。

「僕はアフリカの生活を知ったことで、“お金”というものに囚われなくなりました。アフリカの人たちは本当にお金を持っていない。でも僕たちと同じように普通に生きている。畑に育った野菜や果物を食べ、ガスや電気がなくても火を起こし、水は雨水を溜めたり川から運んだりしています

彼らは自分たちで『暮らし』を作っている。僕はそういった姿を見て、自分で暮らしを作ればそんなにお金なんて必要ないと思ったんです。それまでの考え方が変わりました」

大手であるジェトロを退職するということは、安定した生活を捨てるようなもの。いくら夢・目標があったとしても不安を感じてしまうのが普通だろう。でも彼は違っていた。アフリカが彼に与えてくれた“最強の知恵”のおかげで、不安なんて1つも感じることがなかったのだ。

「僕は超楽観的に生きてます(笑)」

昔から真っ直ぐな性格で失敗を恐れないタイプの人間だったそうだが、運命的に出会ったアフリカは更に彼の心を自由にしたのだった。

 

『好き』を軸に、笑顔溢れる暮らしを作る

 

Photo by Ayaka Mizuno

「僕は仕事は仕事、遊びは遊びと分けたくない。遊びも仕事のうち、仕事も遊びのうち、暮らしも仕事のうち、仕事も暮らしのうち。全部一緒だと僕は思っています。自分が楽しいと思うことを暮らしの軸にしたいんです」

そう話す椎葉さんは、料理や農村体験企画だけではなく、ルワンダ、旅、踊ることといった自分の『好きなこと』を活かし、今以上に幅広く活動していくため積極的に動き始めている。

「僕はその“暮らしの軸”で他の誰かを笑顔にしたいし、楽しんで欲しいんです。その姿を見ることは自分にとっても幸せなこと。そんなポジティブなサイクルができたら世の中も変わっていくと思っています」

椎葉さんにとって暮らしを作ることとは、自分だけではなく、自分と関わる人たちへの想いも込められていた。

「自分のしたことで誰かがハッピーになる。そして、そのことで自分自身もハッピーになる。理想論だと言われるけど、僕はそこを追求していきたいと思っています」

熱い情熱を持った椎葉さんの勢いは、以前にも増して加速しているそうだ。

 

生きているうちのゴールはない

 

Photo by Ayaka Mizuno

「最終的なゴールは?」

その質問に彼はこう答えてくれた。

「ゴールは死ぬことです。僕にはやりたいことが沢山ある。1つ終わって、また次の夢ができる。だから、生きているうちのゴールはありません」

思わずため息が出るほど嫉妬してしまう答えだった。

 

 

“旅する料理人”椎葉康祐は、『自分の生き方』を貫き、毎日を最大限に楽しみながら生きている。それは1人ではなく、誰かと幸せを分かち合いながらだ。

彼の勢いは一生止まることなく、多くの人を巻き込みながらこれからも進化していくのだろう。彼の肩書きが“旅する料理人”から、“旅するエンターテイナー”になる日はすぐそこまできている。

 

▽旅する料理人”椎葉康祐”▽

Blog:http://www.bashi1111.com

Instagram:https://www.instagram.com/kosukeshiiba/?hl=ja

 

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