「ダンスで世界を変えたい」
そう、眩しすぎるくらいの笑顔で話してくれたのは1人の日本人ダンサー”Jumi Lite”(ジュミライト)。
私たちが出逢ったのはニューヨーク・ブルックリンの地下鉄Dライン、9Avenue駅近くのアパート。そこに新しいフラットメイトとして来た彼は、とても人懐っこくて、無邪気な人だった。
「ダンスで世界を変えたい!」
お互いの夢を語っていたときに出たその熱い言葉に、私はとてもつもないエネルギーを感じて取材を申し込んだ。
Jumi Liteってどんな人?

彼は、日本とアメリカを拠点に活動するLiteFeetダンサー。2004年からの1年間で、爆発的にニューヨークでムーブメントとなった”LiteFeet”という新しいHipHopダンスを日本に持ち込んだ第一人者だ。
彼は”Jumi Lite”としての個人活動とは別に、自身が立ち上げた”XYZBOYS”というダンスユニットでも踊っている。現在はワークショップやダンスバトルの主催の他に、ダンサー育成や音楽・動画制作にも積極的に取り組んでいる。
LiteFeet(ライトフィート)とは?
LiteFeetとは、上半身を主に動かして踊る従来のHipHopと少し違う。足を使った動きが多く、技が決まったときに全員で足を踏み鳴らすといったルールがある。
LIteFeetはダンスバトルやセッションで踊るスタイルだ。また、ニューヨークの地下鉄電車内で、”ダンスパフォーマンス”として見ることも出来る。帽子や靴を使ったトリックパフォーマンスや、何でもダンスに取り入れるユニークなスタイルがLiteFeetの特徴となっているのだ。
Jumi LIteとダンスとの出会い
Jumi Liteが10歳だった頃、「ユーガット・サーブド」という映画に影響を受け彼はHipHopダンスを始める。
高校卒業後は就職。でもダンスの想いが強かった彼は、お金を貯めダンス講師として独立。最初からスタジオを間借りして、ダンスワークショップを自分で運営していた。
のちにダンス講師仲間のAZUSAと、生徒だったKEN-TAとダンスユニット”XYZBOYS”を結成。お互いの個人活動も進めつつ、数々のステージに立ち始めた。
Lite Feetとの出会い

Jumi Liteが『LiteFeet』を知ったきっかけは”YouTube”。たまたま見つけたユニークなダンスに、彼はどんどん魅了されていった。
「かっこいい!」
LiteFeetから何か強い運命のようなものを感じたJumi Lite。彼はすぐにこのダンスにのめり込み、早速自分のダンススタイルとして踊り始める。
当時、日本にはまだ知られてもいなかったLiteFeet。彼の先生はYouTubeで踊るダンサーのみで、Jumi LIteはそこからダンスの腕を磨いていった。
まだ日本ではよく認知されていなかったLiteFeetを披露しても、その独特な動きやハットトリックを交えたダンスはなかなか受け入れてもらえず、時に笑われることもあったそうだ。
落ち込むことも、悔し涙を流すことも多かった日々。そんな状態がしばらく続く中、Jumi Liteは仲間と一緒に活動を続けていった。
YouTubeをきっかけにNew Yorkへ
そんなJumi Liteがアメリカ・ニューヨークに行くきっかけとなったのが、先生でもあったYouTube。日本で地道に活動し、XYZBOYSとしてYouTubeにアップしていた彼らは、ある黒人ダンサーから直接連絡をもらうことになる。
その黒人ダンサーは、なんとニューヨーク・ハーレムでLiteFeetムーブメント作った第一人者Chrybaby(クライベイビー)。このChrybabyとの出逢いによってJumi Liteの人生が変わり始める。
動き出したLiteFeetダンサーとしての未来

Jumi LiteとChrybabyの交流はその後続き、ついに2010年XYZBOYSとして渡米。
初めての渡米は資金面、そして未知の世界へ飛び込むことに戸惑いもあったそうだ。それでも自分たちのLiteFeetに興味を持ってくれたChrybabyに会うために、1年必死に動き続けた。
そして、ついにずっと憧れていたLiteFeetの第一人者Chrybabyとの対面が実現。その時の気持ちを彼はこう語っている。
「やっとの思いで自分の憧れの人に出逢えたときは、言葉にならない感動があった。大変なことも不安なこともあったけど、会いに来て本当に良かったと思った」
Jumi LiteはこのChrybabyとの出逢いをきっかけに、活動の幅を広げていく。

定期的にニューヨークを訪れるようになり、LiteFeetダンサーとの交流も深め、何事にも積極的に挑戦し続けたJumi Lite。そんな彼は、アメリカのテレビ出演、有名シンガーのMV出演、そしてニューヨーク・ファッションウィークでのステージパフォーマンスなど、次々と自分の夢を実現していく。
ダンスで繋がった新しい家族

黒人が多く住む団地の一角で、定期的に行われているダンスセッション。Jumi Liteは、普通なら仲間に入れないであろうそのローカルコミュニティにもよく参加するほど地元のダンサーと親交を深めていた。
「Jumiの友達なのか? じゃあ、踊っていきなよ!」
取材に行った私も最初は警戒されていたが、Jumi Liteと知り合いということでコミュニティにすぐ仲間入り。次々と話しかけられ、LiteFeetのダンス指導までしてもらった。
「Jumiは俺たちのブラザーだよ」
歓声の中で踊るJumi Liteを見ながら、黒人ダンサー達はこう言った。そして彼も言う。
「ニューヨークにも家族が出来た」
純粋にダンスが好きだという彼の想いは、日本を飛び出し異国の地へと繋がっていった。今ではそのダンス仲間を講師として日本に呼んだり、一緒にビデオ制作したりと、LiteFeet普及活動を共にしている。
俺はダンスで世界を変える!

「LiteFeetで世界を変えたい!」
インタビューの中でとても印象に残っている彼の言葉。
Jumi Liteは、あのYouTubeでの出逢いからずっと止まることなく前に進み続けてきた。LiteFeetが受け入れてもらえないときも、バカにされたときも、うまくことが進まないときも、いつだって諦めなかった。
それも全て自分の夢のため。1人のダンサーとして活躍出来る道もあるのに、彼はそこにはあまり興味がない。有名になることは彼の夢ではないのだ。
彼の夢はただ1つ。「自分の好きなことでたくさんの人を笑顔に、そして幸せにすること」。それが彼の言う『LiteFeetで世界を変えたい』だった。
熱い想いを持ったJumi LIte。彼は今まさに、愛するLiteFeetでその夢を実現し始めている。
現在の活動

現在は、まさに彼が公言していた『LiteFeetで世界を変える』を実行中。
“LiteFeetで世界を救うキャンペーン”と題して、東京以外の秋田・長野・新潟・千葉などの地方でのワークショップやダンスバトル主催・運営をしながら、全国各地にライトフィートクルーを増やしている。
昨年2017年には、世界7カ国を集めたLiteFeetの世界大会の開催も果たし、またLiteFeetツアーとして仲間を連れて、本番ニューヨークダンサーとの交流を深める活動もしている。
Jumi Liteのダンスは人を笑顔にする

彼のダンスを見ていると自然と笑顔になってくる。
ニューヨークの地下鉄で踊っているときも、黒人コミュニティの中で踊っているときも、生徒達と踊っているときもとにかく楽しそうだ。
LiteFeetが好きで好きでしょうがない。その純粋で真っ直ぐな気持ちが波紋のように周りに伝わっているのだろう。彼はLiteFeetと言うツールで、自分の周りにいる人を幸せにしている。
夢は必ず叶う

「自分を信じること」
彼がよく口にしている言葉の1つだ。
「夢は諦めなければ必ず実現する」
「熱い想いは必ず次に繋がっていく」
彼はとにかく前向きで、どんな困難があっても自分の夢を諦めない人だ。
「迷う」よりも「行動」。彼のLiteFeetに対する真っ直ぐな想いは、「夢」だったものを必ず現実にしてきた。
そんなJumi Liteは、「何かを届けたい」「好きなことで仕事がしたい」と思っていた私の背中を押してくれた人でもある。
彼に出逢えたことでブログを再開し、なおかつそれを仕事にしようと思えた。私が今こうやって、Webマガジン”On the Earth”を運営しているのはJumi Liteのおかげでもある。
「皆さん、夢は叶います。願いは必ずカタチになるのです」
どうか1人でも多くの人に、JumiLiteのこのメッセージが届くことを願う。そして1人でも多くの人が、自分の夢・好きをカタチにする勇気が持てますように。
Act for your dream!!
▽Jumi Liteのコンタクト情報▽
Jumi Lite : https://lfn-tokyo.jimdo.com/jumi-lite-1/
Twitter : https://twitter.com/jumi_lite
Instagram : https://www.instagram.com/jumi_lite/
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「ダンスで世界を変えたい」
そう、眩しすぎるくらいの笑顔で話してくれたのは1人の日本人ダンサー”Jumi Lite”(ジュミライト)。
私たちが出逢ったのはニューヨーク・ブルックリンの地下鉄Dライン、9Avenue駅近くのアパート。そこに新しいフラットメイトとして来た彼は、とても人懐っこくて、無邪気な人だった。
「ダンスで世界を変えたい!」
お互いの夢を語っていたときに出たその熱い言葉に、私はとてもつもないエネルギーを感じて取材を申し込んだ。
Jumi Liteってどんな人?
彼は、日本とアメリカを拠点に活動するLiteFeetダンサー。2004年からの1年間で、爆発的にニューヨークでムーブメントとなった”LiteFeet”という新しいHipHopダンスを日本に持ち込んだ第一人者だ。
彼は”Jumi Lite”としての個人活動とは別に、自身が立ち上げた”XYZBOYS”というダンスユニットでも踊っている。現在はワークショップやダンスバトルの主催の他に、ダンサー育成や音楽・動画制作にも積極的に取り組んでいる。
LiteFeet(ライトフィート)とは?
LiteFeetとは、上半身を主に動かして踊る従来のHipHopと少し違う。足を使った動きが多く、技が決まったときに全員で足を踏み鳴らすといったルールがある。
LIteFeetはダンスバトルやセッションで踊るスタイルだ。また、ニューヨークの地下鉄電車内で、”ダンスパフォーマンス”として見ることも出来る。帽子や靴を使ったトリックパフォーマンスや、何でもダンスに取り入れるユニークなスタイルがLiteFeetの特徴となっているのだ。
Jumi LIteとダンスとの出会い
Jumi Liteが10歳だった頃、「ユーガット・サーブド」という映画に影響を受け彼はHipHopダンスを始める。
高校卒業後は就職。でもダンスの想いが強かった彼は、お金を貯めダンス講師として独立。最初からスタジオを間借りして、ダンスワークショップを自分で運営していた。
のちにダンス講師仲間のAZUSAと、生徒だったKEN-TAとダンスユニット”XYZBOYS”を結成。お互いの個人活動も進めつつ、数々のステージに立ち始めた。
Lite Feetとの出会い
Jumi Liteが『LiteFeet』を知ったきっかけは”YouTube”。たまたま見つけたユニークなダンスに、彼はどんどん魅了されていった。
「かっこいい!」
LiteFeetから何か強い運命のようなものを感じたJumi Lite。彼はすぐにこのダンスにのめり込み、早速自分のダンススタイルとして踊り始める。
当時、日本にはまだ知られてもいなかったLiteFeet。彼の先生はYouTubeで踊るダンサーのみで、Jumi LIteはそこからダンスの腕を磨いていった。
まだ日本ではよく認知されていなかったLiteFeetを披露しても、その独特な動きやハットトリックを交えたダンスはなかなか受け入れてもらえず、時に笑われることもあったそうだ。
落ち込むことも、悔し涙を流すことも多かった日々。そんな状態がしばらく続く中、Jumi Liteは仲間と一緒に活動を続けていった。
YouTubeをきっかけにNew Yorkへ
そんなJumi Liteがアメリカ・ニューヨークに行くきっかけとなったのが、先生でもあったYouTube。日本で地道に活動し、XYZBOYSとしてYouTubeにアップしていた彼らは、ある黒人ダンサーから直接連絡をもらうことになる。
その黒人ダンサーは、なんとニューヨーク・ハーレムでLiteFeetムーブメント作った第一人者Chrybaby(クライベイビー)。このChrybabyとの出逢いによってJumi Liteの人生が変わり始める。
動き出したLiteFeetダンサーとしての未来
Jumi LiteとChrybabyの交流はその後続き、ついに2010年XYZBOYSとして渡米。
初めての渡米は資金面、そして未知の世界へ飛び込むことに戸惑いもあったそうだ。それでも自分たちのLiteFeetに興味を持ってくれたChrybabyに会うために、1年必死に動き続けた。
そして、ついにずっと憧れていたLiteFeetの第一人者Chrybabyとの対面が実現。その時の気持ちを彼はこう語っている。
「やっとの思いで自分の憧れの人に出逢えたときは、言葉にならない感動があった。大変なことも不安なこともあったけど、会いに来て本当に良かったと思った」
Jumi LiteはこのChrybabyとの出逢いをきっかけに、活動の幅を広げていく。
定期的にニューヨークを訪れるようになり、LiteFeetダンサーとの交流も深め、何事にも積極的に挑戦し続けたJumi Lite。そんな彼は、アメリカのテレビ出演、有名シンガーのMV出演、そしてニューヨーク・ファッションウィークでのステージパフォーマンスなど、次々と自分の夢を実現していく。
ダンスで繋がった新しい家族
黒人が多く住む団地の一角で、定期的に行われているダンスセッション。Jumi Liteは、普通なら仲間に入れないであろうそのローカルコミュニティにもよく参加するほど地元のダンサーと親交を深めていた。
「Jumiの友達なのか? じゃあ、踊っていきなよ!」
取材に行った私も最初は警戒されていたが、Jumi Liteと知り合いということでコミュニティにすぐ仲間入り。次々と話しかけられ、LiteFeetのダンス指導までしてもらった。
「Jumiは俺たちのブラザーだよ」
歓声の中で踊るJumi Liteを見ながら、黒人ダンサー達はこう言った。そして彼も言う。
「ニューヨークにも家族が出来た」
純粋にダンスが好きだという彼の想いは、日本を飛び出し異国の地へと繋がっていった。今ではそのダンス仲間を講師として日本に呼んだり、一緒にビデオ制作したりと、LiteFeet普及活動を共にしている。
俺はダンスで世界を変える!
「LiteFeetで世界を変えたい!」
インタビューの中でとても印象に残っている彼の言葉。
Jumi Liteは、あのYouTubeでの出逢いからずっと止まることなく前に進み続けてきた。LiteFeetが受け入れてもらえないときも、バカにされたときも、うまくことが進まないときも、いつだって諦めなかった。
それも全て自分の夢のため。1人のダンサーとして活躍出来る道もあるのに、彼はそこにはあまり興味がない。有名になることは彼の夢ではないのだ。
彼の夢はただ1つ。「自分の好きなことでたくさんの人を笑顔に、そして幸せにすること」。それが彼の言う『LiteFeetで世界を変えたい』だった。
熱い想いを持ったJumi LIte。彼は今まさに、愛するLiteFeetでその夢を実現し始めている。
現在の活動
現在は、まさに彼が公言していた『LiteFeetで世界を変える』を実行中。
“LiteFeetで世界を救うキャンペーン”と題して、東京以外の秋田・長野・新潟・千葉などの地方でのワークショップやダンスバトル主催・運営をしながら、全国各地にライトフィートクルーを増やしている。
昨年2017年には、世界7カ国を集めたLiteFeetの世界大会の開催も果たし、またLiteFeetツアーとして仲間を連れて、本番ニューヨークダンサーとの交流を深める活動もしている。
Jumi Liteのダンスは人を笑顔にする
彼のダンスを見ていると自然と笑顔になってくる。
ニューヨークの地下鉄で踊っているときも、黒人コミュニティの中で踊っているときも、生徒達と踊っているときもとにかく楽しそうだ。
LiteFeetが好きで好きでしょうがない。その純粋で真っ直ぐな気持ちが波紋のように周りに伝わっているのだろう。彼はLiteFeetと言うツールで、自分の周りにいる人を幸せにしている。
夢は必ず叶う
「自分を信じること」
彼がよく口にしている言葉の1つだ。
「夢は諦めなければ必ず実現する」
「熱い想いは必ず次に繋がっていく」
彼はとにかく前向きで、どんな困難があっても自分の夢を諦めない人だ。
「迷う」よりも「行動」。彼のLiteFeetに対する真っ直ぐな想いは、「夢」だったものを必ず現実にしてきた。
そんなJumi Liteは、「何かを届けたい」「好きなことで仕事がしたい」と思っていた私の背中を押してくれた人でもある。
彼に出逢えたことでブログを再開し、なおかつそれを仕事にしようと思えた。私が今こうやって、Webマガジン”On the Earth”を運営しているのはJumi Liteのおかげでもある。
「皆さん、夢は叶います。願いは必ずカタチになるのです」
どうか1人でも多くの人に、JumiLiteのこのメッセージが届くことを願う。そして1人でも多くの人が、自分の夢・好きをカタチにする勇気が持てますように。
Act for your dream!!
▽Jumi Liteのコンタクト情報▽
Jumi Lite : https://lfn-tokyo.jimdo.com/jumi-lite-1/
Twitter : https://twitter.com/jumi_lite
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